着物のことを考えるときに思い出す二冊の本
着物のことを考えるとき、いつも思いうかべる二冊の本があります。
幸田文さんの『きもの』と、娘の青木玉さんが書いた『幸田文の箪笥の引き出し』です。
『きもの』には、明治から大正時代の東京の日常で、人々がどのように着物を選び、どう着ていたのか、空気感がそのまま残されています。
もう一冊の『幸田文の箪笥の引き出し』は、娘である青木玉さんが、母・幸田文のきものや暮らしの記憶を静かにたどった一冊です。
今回は、この『幸田文の箪笥の引き出し』の中に収められている、黒羽織のエピソードについて書いてみたいと思います。
黒羽織のエピソード
この本の中で、特に心に残っているのが、 娘の青木玉さんのお嫁入り支度として仕立てた「黒羽織」のエピソードです。
玉さんは「紋付きはいらない」と言うのですが、 幸田文さんは「では紋は付けず、黒い羽織にしよう」と決めます。
“向こうの親御さんも里の親も、黒い羽織の初々しい若女房ぶりくらい 見せてもらっても罰は当たるまい”という言葉が印象的です。
ところが、仮縫いで羽織ってみた玉さんを見て、 幸田文さんは「似合わない。あんたはまだ黒を着る器量がない」と言います。
そのうえで、小花模様の染め見本を広げながら、 袖先にだけ可愛らしい柄をはめ込むことを提案します。
右は外袖、左は内袖。
動くとちらりと見える小花模様。
“本当に黒が似合うようになったら、この布を外して無地にしなさい” というのです。
母のまなざしと、娘のこれからの成長をそっと願う気持ちが、 この一着に込められているように感じました。
私がこの話から感じたこと
この黒羽織のエピソードを読むたびに、 着物は単なる衣服ではなく、その人の生き方や成熟を映し出すものだと感じます。
「黒を着る器量がない」という言葉は、一瞬とても厳しく聞こえます。
けれどその奥には、娘のこれからの人生を見つめる深い愛情が流れているのです。
袖先にだけ小花模様をはめ込むという知恵も、 ただ可愛らしさを足すためではなく、 “今のあなたに似合うものを”という母の願いそのもの。
そして、いつか本当に黒が似合うようになったら外しなさい── その言葉には、娘の成長を静かに信じる気持ちが込められていて、 読むたびに胸が温かくなります。
その一方で、母親というものはやはり娘には可愛らしいものを着てほしいのだな、とほほえましくも感じます。
私の母などは、実家に顔を出すときにネイビーや黒を着ていると 露骨に顔をしかめて「もっときれいな色を着なさい」と言い、 赤を身に着けると満面の笑みで褒めてくれる人です。
「いいね。そんな明るいものをいつも着ていなさい。 明るい人に見えるよ」と喜ぶのです。
着物は着る人の年齢や心のありようによって、似合う、似合わないが変わっていくもの。
その変化を受け止めながら寄り添ってくれる存在なのだと、 改めて気づかされます。
本の装丁に息づく、母と娘の記憶
この黒羽織の袖先にだけ入れた小花模様の話は、 『幸田文の箪笥の引き出し』のなかの「誰が袖」という章に入っています。
『きもの』の装丁を決めるとき、編集者から 「幸田文さんの着物を参考に見せてほしい」と言われたものの、 ふさわしいものが見つからなかったそうです。
そのとき玉さんが思い出したのが、この黒羽織でした。
黒地に斜めに入る小花模様── それがそのまま『きもの』の表紙の意匠になったのです。
玉さんのお嫁入りに幸田文さんが選んだ黒羽織が、娘の手を通して本の佇まいとして息づいている。
母娘の絆が感じられるエピソードです。
↑表紙の 黒無地×小花模様 の装丁が、青木玉さんがお持ちの羽織の袖部分です
着物をどう着て、どう生きるのか
『幸田文の箪笥の引き出し』に描かれている幸田文さんは、 着物をただ大切にしまい込む人ではありません。
必要だから求め、必要なだけ持ち、 そして自分の“分”に合ったものを、最も効果的に、思い切りよく着た人として描かれています。
御召の赤い柄が若くなったと感じれば、その場で墨を塗ってしまう潔さ。
菜の花を染め出した、留袖代わりにもなる見事な黒の着物も、お手伝いさんにねだられれば、 気前よく譲って「あの着物はいい納まり方をした」と言って喜ぶのです。
“着物を大切にする”とはしまい込むことではなく、 そのときの自分に正直に使い切ることなのだと、 この本は静かに教えてくれます。
着物の話でありながら、 「どう思いをのせ、どう受け止め、どう生きていくのか」という人の姿勢そのものがにじんでいます。
🍀青木玉さんの娘であり、幸田文さんの孫にあたる 青木奈緒さんの著作『幸田家のきもの』という本があります。 母娘三代に受け継がれた着物の記憶を、奈緒さんの視点で 静かにたどる一冊で、今回のテーマとも深く響き合います。 こちらの書評も、近々書く予定です。
🍀なお、幸田文さんの代表作『きもの』については、以前に書いた書評で詳しく触れています。
幸田文『きもの』|“こしらえる”という言葉に感じたノスタルジー


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