着物の寸法はもっと自由でいい――裄をめぐる違和感

着物と心のこと

裄丈の正解とは何か?
ずっと心のなかで問い続けてきたことです。

SNSで見かけた、ある訪問着の投稿

先日、SNSでこんな投稿を見かけました。

おばあさまから譲られた大変品のある見事な加工の訪問着を子どもの行事で着用し、呉服店にクリーニングに出したところ、「裄が短いし、柄も古いので、新しいものを誂えた方がいい」と言われてしまったという話です。

写真を見る限り、さる有名な作家さんの手になると思われる、それはそれは素晴らしい訪問着。

その方は上背があるようで、きちんとした和裁士さんに依頼し、仕立てなおしたとのこと。

寸法を考えてもらい、胴接ぎをし、裄を出してもらったそうです。

だから、呉服店に言われたことがとてもショックだったのだと思います。

最初に私が感じたのは、「真に受けちゃダメです。それは、新しい訪問着を売ろうと必死な店員さんの売り込みです」という、セールストークに対する憤りでした。

しかし、この投稿についたコメントを読み進めるうちに、また違った感情が湧き上がってきて、しばらくもの思いにふけってしまいました。

最近の“裄の長さ”への疑問

それは、最近の着物の寸法に関する疑問――とりわけ裄についてです。

寸法に関して、自分の意見をネットに出すほどの見識を私は持っていないと思っているし、自信はないのでこれまでは黙っていたのだけど、少し書きたくなってしまいました。

コメントに散見されたのが、「訪問着としては確かに短いけど、肘をひっこめればいい」という意見でした。

私はこれに引っかかってしまって。
これだと、“短いのは確かに短いよね”ということになりますよね。

そこが私の感じていたこととは全く違ったのです。
私の感覚では、これはOK。
むしろこれくらいが本来、というものだったので。

最近、手を自然に下ろしたときに、手首のぐりぐりが完全に隠れて、さらに手の甲にまでかかるような裄の着物をよく見かけます。

でも、本当にそこまで必要なのでしょうか。

私が感じるジャストサイズは、手をまっすぐ下げたときに手首は完全に出ている、さらに3cmくらい上、なんならもっと上でもいい。
そのくらいがいちばん心地よいと感じています。

訪問着は裄を長めに、というのはたしかに“常識”として語られていますし、着物雑誌を開けば、手首が完全に隠れるものが多いけれど。

あれは雑誌の世界の話なのではないかしら。

広告や業界の意向も入った、ある意味では“虚構”の世界だと私は思っています。

「こういう方向に誘導したい」という意図が透けて見える気がすることもあるし。

現実世界での運用は、もっと幅があっていいし、それが自然なのではないでしょうか。

大きく作る=エレガントに疑問

もし私が訪問着を新たに誂えるとしたらと想像してみます。

たしかに寸法は、自分で思っているジャストサイズより少し大きめに作るかもしれません。
でもそれは、のちに誰かに譲ることを前提に考えるからです。

大は小を兼ねます。
大きいものを小さくするのは簡単ですが、小さいものを大きくするのは難しい。

どうしても元の寸法の跡が残ってしまいます。

良い着物は三代にわたって受け継がれるものです。
実際、布の命は人間よりずっと長く、こちら側が不要だとあきらめて捨ててしまうまで残ります。

そして、この先、誰かが袖を通すことを想像しながら着物を新調するのは、女性にとって大きな喜びであり、高価なものを誂えるときの救いでもあります。

そういう意味で、“訪問着は大きく作る”というならとてもよく分かるのですが、着やすいかどうか、自分の体にあった寸法かというと別問題。

裄の長さをどうするかは、私にとってはその程度の実用的な理由しかありません。

だから、訪問着だから長く仕立てるのが当然、長いのがエレガントと言われると戸惑ってしまいます。

エレガントに見せたいという理由なら、袖丈を少し長くすればよいのではと思ってしまいます。

むしろ裄が長すぎると、個人的には少し着物に着られているように見えることすらあると感じています。

裄の“正解”は数字だけでは測れない

大切に受け継いだ訪問着を“短い”“古い”と断じられた痛みは、「肘をひっこめればいい」という言葉では消えないと思います。

そして、裄の長さについて、“正解”があると簡単に言い切れるものでもないと思うのです。

着物の寸法って、もっと幅があってよいものではないでしょうか?

着物は本来、もっと自由で、もっと寛容で、その人が心地よく、美しく感じられる寸法を大切にしてよいはずです。

そしてその“心地よさ”の中には、着物にくっついている歴史も含まれると思います。

すなわち、この着物は母が、祖母が、思いを込めて選び、仕立て、身に着けたものだということ。
それを受け継ぎ身にまとうのだという思い。

そんな思いを含んだ着物を着ようとするときに、自分の身体の寸法、着物の寸法、その二つの条件から導きだされる寸法、それが正しい寸法なのではないでしょうか?

そんなことを思いながら、最近の裄丈に対する空気感に、静かに疑問を抱いています。




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