三代にわたって受け継がれてきたきものの記憶を、静かに、丁寧に綴った一冊でした。
祖母・幸田文さん、母・青木玉さん、そして著者の青木奈緒さん。
文筆一家の女性たちが、それぞれの人生の節目にどんなきものをまとい、どんな思いを抱いてきたのか──その息づかいが伝わってきます。
まえがきに登場する、三人一緒の写真。
孫を見つめる幸田文さんの柔らかで優しげな表情に、思わず胸が熱くなりました。
厳しい文筆家のイメージとは違う、家族の中の“おばあちゃん”の顔。
その一瞬を切り取った写真が、この本全体のトーンを決めているように感じたのでした。
幸田文『きもの』①|“こしらえる”という言葉に感じたノスタルジー
幸田文『きもの』②|女がきものをこしらえる時
青木玉『幸田文の箪笥の引き出し』|黒羽織の袖に宿る母と娘の記憶
書 名 青木奈緒
出版社 講談社
発行日 2011/2/25
赤い梅の小紋が教えてくれる「境目」
いちばん心に残ったのは、紅白色違いの梅の小紋のエピソードです。
幸田文さんが奈緒さんのために買い置いた色違いの梅の小紋がありました。
一反は赤地に白い梅がびっしりのもの。
もう一反は白地に紅梅が散りばめられたもの。
まだ幼い奈緒さんの肩にそれをかけながら、文さんは季節の移ろいときものの着どきを次のように教えます。
- 年末年始のにぎやかな場には赤
- 立春を過ぎて空が明るくなり、あたたかな日和にはすっきりと白
- 三月に入ったら桜がお待ちかねだから梅はおしまい。庭に梅が残っていても着てはいけない。
こんなふうに、きっぱりとした、でもわかりやすいルールを愛情を持って教えるのです。
このような長年の知恵に根差したルールというのは、意外に本などからは得られないもの。
着物好きにはたいへん勉強になります。
時が流れ、奈緒さんは18歳くらいでまず赤地の方に先に袖を通します。
お正月に初めて着用して、その後、2、3度。
しかし、着物も帯もすべて日本に置いたまま、留学のため娘盛りをドイツで過ごすことになりました。
12年という長い年月を経て帰国し、ふたたび梅の小紋と向き合ったのは30代後半になってから。
このときに、白地に紅梅模様の方は何の心配もなく着られたけど、赤の方はその若々しさに気おされてしまうのです。
お母さまの青木玉さん(幸田文さんの娘)はこう励まします。
まだ大丈夫、着ちゃいなさい。(中略)赤って色はね、自分で着られないと思ったときに色に負けるんだよ。 自分で駄目だと思ったら、そこが境目。(32ページ)
お母さまの言葉に励まされて元気をだして赤を着た奈緒さんでしたが、その数年後、赤を着ようと思いながらも白に逃げ、次のシーズンに羽織ってみたら、もうダメだと思ってしまうのです。
ですが、惜しいという気持ちもありました。
祖母に思いをかけてもらったのにという気持ちもある。
色をかけるという決断と、悉皆屋さんの仕事
赤い梅の小紋をどうするか── 奈緒さんは悉皆屋さんに相談します。
- 色をかけて歳をとらせる
- 色をかけずに今の赤のまま長襦袢にする
このような二つの提案をされるのです。
悉皆屋さんは「長襦袢」を勧めますが、奈緒さんは「まだきもので着たい」と答えます。
そこで悉皆屋さんはこのように言うのです。
「よろしおす。この赤を殺すんですな。 色の濃さを見極めて、ひと思いに殺してやらんといけませんのや」
ずいぶんと強い言葉ですが、そこには職人としての覚悟がありました。
その結果どうなったか。
仕立て上がったきものを見て奈緒さんは一瞬ぽかんとします。
思い描いていた色とは違ったのです。
“赤を殺す”とまで言われながら、頭の中ではきれいな色を想像していた自分に気づくのです。
ですが、悉皆屋さんはそのようなことは織り込み済みなのでしょう。
ちゃんと工夫をしてくれて、八掛にやわらかな若草色をつけてくれるのです。
表の赤が美しく見えるような配慮でした。
お礼の電話を入れる奈緒さん。
悉皆屋さんは安堵した声で言います。
「ああ、よかった。ほんまよかった。安心しました」
このやり取りに、きものを扱う人たちの誠実さとともに、責任の重さを想像してしまい、私は少し胸がきゅっとなります。
実際、色かけは非常に技術的に難しく、どんな色に染まるか熟練の職人さんでも予想が立てづらいものらしいのです。
私自身の“色かけ”体験談
私自身も何度か色かけで戸惑った経験があります。
オレンジの道行コートを丸染めに出したとき、 「年齢に合う赤に」とお願いしたのに、仕上がりは想像より鮮やかな赤になって戻ってきました。
また、黒っぽいオレンジの輪奈コートの反物も、真っ赤に変身して仕立てあがってきたことがあるのです。
※詳しくはこちらの記事をどうぞ
言いなりになると赤くなる?|道行コートを丸染めした話
色かけは一発勝負。
どんな色になるかは、染めてみないとわからない。
それは、染める前に職人さんにはっきりと言われて、理解したうえでおまかせしたのですが、それでもやっぱり心では自分の理想の色を思い描いてしまうもの。
日本の染色技術、特に着物の世界の技術の蓄積を信頼しているからこその期待なのですが、こと色かけに関しては、“思うにはままならないもの”と思っておいた方がいいのかもしれません。
ですから、“ぽかんとしてしまった”奈緒さんの気持ちがよくわかります。
そしてここからが、彼女の人柄を感じさせる部分。
“このきものが反物として店に出ていたら飛びつかないだろう”と思う一方で、若草色の八掛に配慮を尽くしてくれたことに気づき、先述したように電話をかけて懇篤に悉皆屋さんにお礼を伝えるのです。
まとめ
『幸田家のきもの』は、 きものを通して“時間”と“家族の記憶”がどう受け継がれていくのかを教えてくれる本でした。
赤い梅の小紋のエピソードは、 きものの話でありながら、 「自分の人生の境目をどう見極めるか」という人生の話でもあり、着物によってつながった人の思いをどう受け継ぎ、どう応答していくか、ということを深く考えさせてくれます。
着物が好きな方にお勧めしたい、余韻の残る一冊です。
関連記事
関連リンク
🍀楽天ブックス(紙書籍)
🍀染め替えの依頼を受けているショップです。
レビューを読むと、皆さんそれぞれに着物への想いがあり、とても参考になります。
この記事の本文では、私自身の経験から「色かけは難しい」と書きましたが、こちらのレビューでは満足されている方が多く、読ませていただいて勉強になりました。
色を指定する際に慎重に検討されている方が多く、それが良い評価につながっているのだと思います。
🍀応援していただけると励みになります。
にほんブログ村
にほんブログ村

コメント