蔦屋書店の静かな空間で、手に取ったマドモアゼルユリアさんの著書『きもののとりこ』。
彼女の審美眼で切り取られた着物の世界は、圧倒的な輝きを放っていました。
写真が語る、圧倒的な情熱
蔦屋書店の書棚で手に取ったマドモアゼルユリアさんの『きもののとりこ』。
刊行されたときからとても気になっていた本です。
見つけてさっそく読んでみました。
何と言っても、この本の真価は、写真の多さと質にあります。
価格が高いと感じる方もいらっしゃると思いますが、実際に手に取ってみれば、値段には納得せざるを得ません。
ここに収められているのは、ただ美しい着姿の羅列ではありません。
現代的でモダンなコーディネートから、目を見張るようなアンティークの着こなしまで、そのバラエティーは実に多彩。
どのページからも「本当にこの人は着物が好きなのだ」という、溢れんばかりの熱量が伝わってきて、ページを繰る手が止まらなくなってしまいました。
一冊の本の中に、彼女自身の着物に対する揺るぎない愛情と、それを表現しようとする並々ならぬ情熱が、ぎっしりと詰め込まれているのです。
この写真の量と熱量に触れるだけで、着物という世界が持つ奥行きを、改めて教えられたような気持ちになりました。
この本の最大の魅力は、着物コーデのバラエティーの豊かさ。
著者の熱量を雄弁に物語っています。
ヘアスタイル重視への違和感と、私の願い
一方で、ページを繰るうちに、自分の価値観とのあまりの違いに少し「スン」としてしまう瞬間もありました。
もちろん、著者のセンスや持ち物が私とは違うのは当然のことですし、それはそれでいいのです。
でも、「着物姿の50%はヘアスタイル」というご意見を目にした時、少しもの申したいような、なんとも言えない変な気分になってしまったのです。
もちろん、ヘアスタイルが重要なのは分かります。
プロの視点からすれば「至極当然」の正論でしょう。
けれど、私にとって着物は、もっと日常の延長線上にあるものです。
難しいことを考えず、完璧にまとめ上げることよりも、もっと気軽に、自分の気分を大切にして楽しみたいという思いが根底にあるからです。
私のような考えは、美を追求する方からすれば邪道かもしれません。
単なる努力不足に見えるかも。
ですが、もし着物を着るためにそこまで徹底しなければならないとしたら、日常の家事や仕事に追われている多くの庶民にとって、着物のハードルはぐーんと上がってしまいますよね。
私のブログの副題に「ふつうの日々にもっと着物を」と掲げているのは、着物を着始めた時からの、ほとんど祈りに近い願いなのです。
完璧に着たいわけじゃない。
ただ、「今日は着物の気分だな」と思った時に、さっと袖を通す。
そんなふうに、もっと気負わず自由に楽しめたらいいのに。
そんな私の願いは、完成された美しい着姿を提示する本書の世界観とは、どうしても少し距離があるように感じられたのです。
急に村上春樹さんの小説の一節が降ってきて
本書をめくりながら、自分の「ふつうの日々にもっと着物を」という願いと、著者の提示する完璧な世界観。
その二つの間にある彼我の差を意識した時、不思議な孤独を感じていました。
着物を着て街に出ても、「今日はお茶?何かあるの?」と聞かれる現実。
若い頃よりも街で着物姿を見かけることは減り、着物が日常から少しずつ遠のいているという淋しさが、どこか私の心に影を落としている。
そんなことを考えていたとき、若い頃に読んだ村上春樹さんの『中国行きのスロウ・ボート』の一節が、突然降ってきました。
僕たちは何処にも行けるし、何処にも行けない。
なぜこの言葉だったのか。
何を言いたいんだろう、私。
自分でもはっきりとはわからないのだけれど。
私にとっての着物とは、私だけのものであり私自身。
誰かにとっての着物を着るということは、その人にとっての着物であり、その人自身なのだろう。
結局のところ着物とは、一人ひとりがそれぞれに違う思いを抱えながら纏うもの。
誰かの正解を追い求めるのではなく、自分で選んだものを着て自分自身であるということ。
私自身は「自由に着たい、自由でいたい」という欲求が年々強くなっている。
その一方で、どこか誰とも分かり合えない寂しさを感じていたのも事実。
現代において着物を着るって、他者に自分を理解してもらうことを諦めるのと同時に、自分の内側にある正解とだけ向き合う、孤独と表裏一体の行為のような気がしてきたのです。
著者がこんな感想を聞いたら心外に思うかもしれませんが、私にとってこの本は、そんな自分の“自由と孤独”を、鮮烈に感じさせる一冊となったのです。
確かなインスピレーションの源
これは決してネガティブな感想ではありません。
本書を手に取ったからこそ、私自身の着物ライフを見つめ直すきっかけとなりました。
例えば。
ページを繰っているうちに、最近メルカリで手に入れた小紋のことが頭をよぎり、「あの小紋には、こんな色が合うんじゃないかしら」というインスピレーションが次々と湧いてきたりもしました。
本書の「色合わせの視点」という章には、補色やグラデーションの考え方について、理屈だけでなく具体的な組み合わせで納得できるような解説がありました。
着物と帯のコーデにおいて、「補色は合いますよ」という記述はよく見かけますが、このように具体例を出してに腑に落ちる解説をしてくれる本は案外少なくて、非常に貴重だと感じます。
また、ブルーの暈しが美しいグラデーション紬に帆船模様の帯を合わせ、そこにマザーオブパールの帯留めを添えるといった物語性のあるコーディネートには、思わず陶酔しそうになるほど魅了されました。
芭蕉布に半幅帯を合わせた夏の涼しげな装いも実に素敵でしたし、著者の膨大な櫛と笄のコレクションを眺めている時間は、まさに眼福で。
手持ちの着物のコーデを見直し、次に袖を通すときが待ち遠しくなるようなヒントをいくつも授けてくれたのです。
最後に、また脱線みたいな話をひとつ。
いま私は、ドラマ『ダウントン・アビー』を観ています。
作中、英国貴族の令嬢レディー・ローズが、黒人のジャズ歌手の男性と恋に落ち、二人きりでボートを漕ぎながら語り合うシーンがあります。
そこで彼女は、あふれんばかりの若さと笑顔で、こう口にするのです。
「フランス人ならこう言うわ。違いに万歳って」
着物を楽しむなら、まさにこのスピリットこそが一番大切なのではないかしら。
それぞれの着こなしがあり、それぞれの日常があり、それぞれの「正解」がある。
その「違い」を面白がり、慈しむ心。
もしその心がなければ、きっと誰かのコーディネートにネチネチと批判を書き込んだり、あるいは「着物警察」のように誰かを縛り付けたりしてしまうのかもしれません。
そんな窮屈な世界に私は耐えられない。
完璧でなくていい。
孤独であってもいい。
そして誰かの着姿を、違いに万歳と肯定する。
この本で得たインスピレーションを道標に、私は今日も自分なりの自由を纏って、ふつうの日々を歩いていこうと思います。
編集後記
今回の『きもののとりこ』を読んで、改めて自分の「着物クローゼット」と向き合ってみたくなりました。
これから着物ライフをより楽しみたいという方は、ぜひ一度、本書のページを繰ってみてください。眺めているだけで心が踊る、素敵な一冊です。
今回の記事でも触れた、英国ドラマ『ダウントン・アビー』。
物語の余韻に浸りながら、次に合わせる帯や小物を考える時間は、何にも代えがたい至福のひとときです。
まだ観たことがない方も、繰り返し観ている方も、この優雅な世界に触れてみると、日々の暮らしにちょっとした彩りが加わるかもしれませんよ。
▶ダウントン・アビー コンプリート・ブルーレイBOX (全6シーズン・全55話収録)
▶ダウントン・アビー/グランドフィナーレ ブルーレイ + DVD セット(劇場版最新作)
▶<公式> ダウントン・アビー クッキングレシピ
本書を読んでいて特に心に残ったのが、著者の素敵な帯留めコレクションでした。
物語を感じさせるような小さなアートを身につけるだけで、着物を装う喜びは何倍にもなる気がしますね。
中秋の名月にこんな帯留があれば物語性のあるコーデができそうです。
実は今回、孤独と自由について想いを巡らせていたら、ふと須賀敦子さんの『それぞれの孤独』という言葉が心に浮かびました。
着物と向き合う静かな時間と、須賀さんが描く孤独の形。
近々このブログでも、彼女の言葉について書いてみたい――そんな新しい「書きたいこと」が生まれた、穏やかな一日でした。
🍀応援していただけると励みになります。
にほんブログ村
にほんブログ村

コメント