林真理子著『着物の悦び』書評③|着物を求めているのは妻でも母でもない私なのかもしれない

書評

この記事には広告が含まれています。

ある元局アナの方の記事をネットで読んでいるときに。

「妻でも母でもない私になりたくて、必死に勉強して資格を取った」という話を目にしました。

そのときに、あっ、これだ!という心の声が聞こえてきました。

私が着物に求めているものは、それだと思ったのです。

「妻でも母でもない私」

少しわがままで、自由な、本来の私。

結婚する前の私です。

結婚して苗字が変わり、妻となり、母となると、本来の私はどこにいるんだろうという思いにとらわれることがしばしばありました。

正直にいうと、私は旧姓が好きで、夫の姓が嫌いです。

苗字と名前のすわりが悪くて、姓名判断を見てもなんだか不穏なのです。

響きの良かった「私の名前」を捨てて得た新しい自分は、覚悟はして結婚したはずだけれど、いつまでも着慣れない服を無理やり着せられているような違和感が抜けなくて。

夫は優しいし、息子もかわいい。

でも、そんな思いとは別に、本来の私はどこにいったのかと嘆く気持ちもある。

私が求めていたのはこういう生活だろうか。

静穏な毎日だけれど、それだけでは癒されない渇きがある。

そんな日々に、着物は逃げ場所になるのです。

着れば機嫌よくいられるし、着ることで演じられるところがある。

妻として母として充実しているだけでなく、着たいものを着て、人生を楽しんでいる自分。

自由で面白いことが大好きで笑ってばかりいた本来の私。

結婚によって分断された私ではなく、記憶に残っている三歳くらいから連綿と続く私そのものでいられるみたいな感覚です。

ここまで考えてきて、急に林真理子さんの『着物の悦び』の一節を思い出しました。


私はよく冗談に、「愛人マリというのを囲っていて、それにしょっちゅう着物を買ってやらなきゃならない」と言うが、私の“着物友だち”もおそらく同じ意識だろう。

最初に読んだときは面白い表現だなと思いました。

でも最近になって、この言葉が少しわかる気がしてきていたのです。

男性優位のこの社会で日常を過ごしていると、自分のなかの女性性を押し殺さないとやっていけない場面があります。

職場でも家庭でも、男性という生き物と対峙するときに、素の自分でいては立ちゆかない時がある。

理性でなんとか対処していても、それは本来の自分ではないから、どこかで素顔の私を意識的に慰めてあげないと、心身のバランスを崩してしまいそうになることがあるのです。

自然に上手に対処できてストレスのたまらない人もいるのかもしれません。

でも私はそういうタイプではないので、自分なりの方法で本来の私の機嫌をとらないといけない。

何者でもない素の私に、ただ喜ぶようなものを買い与えてあげる感じ。

そのご機嫌取りが着物なのではないかと思うのです。

妻として、母として過ごしていて不満なわけではありません。

家事をしたり、家族の予定を考えたり、生活を回したり。

そういう役割が嫌いかと聞かれたら、たぶん私はすごく好きなのです。

でも、それだけでは生きていけない。

生来もっている性質というか、むき出しの私が、単純に嬉しいと思ったり、きれいだなと思ったり、楽しいと喜んだり、子どものように欲して求めるもの。

それが着物なのだと思うのです。

「この帯を合わせたらどうだろう」

「この色は今の私に似合うだろうか」

「この着物にはどんな歴史があるのだろう」

そんなことを考えているときの私は、妻でも母でもありません。

ただ着物が好きな、一人の人間です。

私自身でいたいという渇望みたいな。

買い続けるのも、その渇望が物欲になっているのかもしれません。

着物が欲しいのではなく、ただ自分自身でいたい。

そんな気持ちが、着物を買うという行動になって現れていることもあるのではないか。

林真理子さんのいう「愛人マリ」も、自分のなかの女性性、生まれたままの子どもみたいな感性で、無邪気にきれいなものを着たい、欲しいと思う、社会のなかで理性的に生きる自分とは別のもう一人の自分なのかもしれません。

少しわがままで。

少し自由で。

好きなものを好きと言いたくて。

きれいなものを見て心を動かしたい。

そんな自分です。

だから私は着物を買うたびに、着物そのものだけを手に入れているわけではないのかもしれません。

妻でも母でもない私を何とかしてなだめているのかも。

「大丈夫だよ」

「あなたのこともちゃんと忘れていない」

そう言い聞かせているのかも。

もしかすると、その「もう一人の私」が本当に欲しかったのは着物そのものというより、自分らしくいられる時間だったのかもしれない。

着物を通して出会いたいのは、おそらく自分自身。

折に触れてひもとく林真理子さんの『着物の悦び』は、また一つ私に、こんな気づきを与えてくれたのでした。

【関連記事】

林真理子著『着物の悦び』書評|失敗しても好きでいる気持ちを大切に

林真理子著『着物の悦び』書評②|15年ぶりの再読で気づいた「縛られていた自分」

林真理子さんの着物の世界

▶『着物の悦び』
着物を着ること、買うこと、その奥にある気持ちについて考えたいとき、折に触れてひもときたくなる本です。


▶『着物をめぐる物語』
着物には不思議な力があります。ただの布なのに、その着物を着ていた人の人生まで想像してしまうのです。この本に収められているのは、そんな着物と人をめぐる11の物語。
着物の美しさだけでなく、その奥にある喜びや執着、切なさまで描かれていて、着物好きの心に静かに残る一冊です。


▶『大原御幸』
着物黄金時代の京都を舞台に、帯づくりに人生を捧げた父と、その家族の歩みを描いた一冊です。
豪華な帯や着物が登場するだけでなく、その時代を生きた人々の情熱や執念、人間臭さまで伝わってきます。
着物好きなら、ものづくりの世界の熱気にも惹き込まれると思います。


🍀応援していただけると励みになります。

にほんブログ村 ファッションブログ 着物・和装へ
にほんブログ村 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビュー
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました