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里中満智子さんの『天上の虹』を読み終えて、久しぶりに古典の世界へ戻ってきたような気持ちになりました。
漫画ではあるけれど、和歌と物語が寄り添いながら進んでいく源氏物語のような構成で古典の構造を見事に実現していて、ページをめくるたびに萬葉人の思いと生きざまに触れる気がしたのです。
古典との出会いと、和歌が導いた世界
和歌に魅かれるようになったのは、中学校の国語の授業がきっかけだった。
伊勢物語の授業で在原業平の和歌を学習して、古(いにしえ)の人も現代人と同じように人を愛し、別離に泣く、そのことが新鮮で今も胸に残っている。
授業の風景やその頃の席の配置、先生の表情まで克明に記憶しているのは、和歌の力に導かれてのことだと思う。

まず和歌があって。
その和歌が詠まれた経緯を記した詞書(ことばがき)があって。
その形式が発展して、伊勢物語となり、源氏物語になっていったことを、たしかこの時の授業で習ったのだった。
和歌が物語の中心にあり、物語が和歌を照らす。
その関係性に惹かれたのが、私の古典文学との最初の出会いだった。
高校では源氏物語を学び、宮廷文学の世界にすっかり心を奪われた。
場面の空気を和歌が支え、人物の心の奥を一首が静かに語る。
ともに支えあう構造の美しさは、若いころの私にとって教養への憧れをかきたて、京の雅と洗練を象徴するものだった。
▲こちらは田辺聖子さんによる宇治十帖の現代語訳です。大変読みやすく、原作に忠実だと個人的には思っています。若い頃は光源氏の恋物語にしか興味がなかったのですが、この本を読んで宇治十帖の魅力に目覚めました。現代にも通じる男女の心のすれ違いを繊細に描いています。これが千年も前の物語であることに驚かされます。
大学では平家物語を専攻して、和歌を中心とした宮廷文学の世界からは少し遠のいたけれど、古典の世界の人間の生き方や心の持ち様などへの興味はずっと変わることがなかったと思う。
平家で軍記物の力強さと哀しみの美しさに触れたけれど、卒業後は忙しさにかまけて古典から離れてしまい、長い時間が過ぎ去っていった。
『天上の虹』が呼び起こした、古典への静かな回帰
『天上の虹』を読み始めたきっかけは、ブックオフをぶらぶらしていた時だった。
何となく目について、何となく手に取って。
万葉秀歌が目に入ったとき、平安朝以前の和歌は苦手と決めつけて、まったく興味がなかった私なのに、ぎゅっと心をつかまれた気がした。
登場人物たちの大らかで飾らない詠みぶりに、その魅力を初めて理解した気がしたのだ。
『天上の虹』は漫画ではあるけれど、和歌が物語に品格をもたらし、その和歌が詠まれるに至った経緯や歴史の流れなどがするすると頭に入る作りになっていて、人間関係も無理なく理解できる。
人物の名前の読み方からして難しくて好きになれないと避けていた飛鳥時代から奈良時代の歴史が、この年齢になってから初めて身近なものと感じられて、勉強になったし、懐かしくもあった。
和歌が場面の空気を変え、人物の心を映し、物語の流れをそっと導いていく。
源氏物語で感じた“和歌が物語の核になる世界”が、現代の漫画の中で息づいている。
また古典文学に戻ってみようか。
忘れていたはずの古典への情熱が、静かに息を吹き返したような気がした。
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